2006.08.16 Wednesday
三鷹でひとりで遊んでみる
アセモやらジンマシンのせいで、遊ぶのを控えていたのだが、今日はなんか外に出たくてムズムズしてきた。だいぶ体調がもどったのだろう。
&今週の仕事であるホームページの原案がちょっとアイデアがひらめかなくて行き詰まり感がある。なもんだから、ここはエイヤで夜は飲みに行くことにした。
渋谷か銀座か自由が丘か。行きつけはいくつかあるが、なんとなく三鷹に足が向いた。とりひろのマスターにメールしたら、やってるとのことだったので、少し明るいうちに出て、三鷹の用水や河川を見学することにした。
ブログにも書いたが、去年も2度ほど用水調査で足を運んでいるのだが、もう少しいい写真が撮りたかったのだ。
で、目指すは、我が街世田谷と三鷹を結ぶ品川用水。品川用水は玉川用水から武蔵境の辺で分水されている。その分水口を観に行った。

ところが、夏は草木がうっそうと茂り、分水口も埋もれてしまっていた。しかたないので、玉川用水の中に入り(立入禁止だっつうの)、あたりを撮影。
しかし、太宰治は玉川用水に入水自殺したと聞いたが、こんなドブ川で死んだのか?いや、昔はもっと滔々と流れていたのだろう。
品川用水のことを少し書かせてもらうと、現在の三鷹市街で用水の跡を見つけるのは不可能である。ただ、昔の地図で品川用水の流れを比定し、現地を歩いてみると、もしかしてこの道は昔用水だった?というのが見えてくる。
それで、書き込んでみたのが、下の地図だ。

容量の関係で細かいから、興味のある人だけじっくりみてね。
左上の分水口は唯一の品川用水の痕跡。そのあと、中央線をまたいで、ゆるやかな曲線を描く道が三鷹の街を斜めに走っている。
三鷹に住んでる人は、堀合から北浦に続くこの道が、きちんと区画整理された三鷹の中にあって、異色であることを感じることができるはずだ。それはこの道が、用水の跡だからなのさ。
北浦からは、むらさき橋通りに沿って南下するのではなく、実は一本東側の裏路地に沿って、用水は南下する。あかね保育園の裏。現地に行ってみると妙にまっすぐだけど、むらさき橋通りとは微妙に不平行な意味不明の路地だ。
そして、どうしてそんな道があるかと探っていくと、品川用水及び旧道、という答えに出くわすのである。同様に、その先、第6小を越えて、三鷹第一病院のところもおもしろい。
病院の裏手にぐにゃっと曲がった路地がある。なんか余分な路地なのだがしょうがない。他の道よりこっちの方が古いんだから。これが用水跡の道である。ここを通って、用水は吉祥寺通りの裏手から新川へと抜けていくのだ。
なんてことを調べて何が面白いのか(笑)。まあ、ほとんどの人にはどうでもいいことだろうけど、オイラはこうやって土地への愛着を深めていく。
きのう書いたように、郷土愛や地域へのリスペクトのオイラなりのアプローチなのである。
日も暮れてきたので、とりひろへ行こう。

おお、赤提灯が呼んでいる(^^ゞ
店に入ると、常連のアイちゃんが飯食ってた。オイラは端っこの席に座り、ホームページの案をイメージしながら、生ビールに馬刺し。
マスターや初めて会うお客さんと、お盆の話や靖国問題など、イマドキの話題をちらほら。
御夫婦でいらしてたお隣さんの奥様の実家が山形だというので、土地の話や親父やジイサンの話でひとしきり盛り上がった。旧姓が「平さん」だというので、こりゃ将門クンの子孫だな、とそんな他愛のない話だが、そうやって親交を深めていく。
三鷹にリスペクトし、山形にリスペクトしていく。考えてみると、こうやってオイラは人との交友関係を築き上げてきたのかもしれない。
なんだか、心が穏やかになった。今日はこれでいいや。明日は集中して仕事するぞ。ホームページのイメージも少しできてきた。今日会った皆様、感謝です。ありがとうございました(^_^)v
χανι
&今週の仕事であるホームページの原案がちょっとアイデアがひらめかなくて行き詰まり感がある。なもんだから、ここはエイヤで夜は飲みに行くことにした。
渋谷か銀座か自由が丘か。行きつけはいくつかあるが、なんとなく三鷹に足が向いた。とりひろのマスターにメールしたら、やってるとのことだったので、少し明るいうちに出て、三鷹の用水や河川を見学することにした。
ブログにも書いたが、去年も2度ほど用水調査で足を運んでいるのだが、もう少しいい写真が撮りたかったのだ。
で、目指すは、我が街世田谷と三鷹を結ぶ品川用水。品川用水は玉川用水から武蔵境の辺で分水されている。その分水口を観に行った。

ところが、夏は草木がうっそうと茂り、分水口も埋もれてしまっていた。しかたないので、玉川用水の中に入り(立入禁止だっつうの)、あたりを撮影。
しかし、太宰治は玉川用水に入水自殺したと聞いたが、こんなドブ川で死んだのか?いや、昔はもっと滔々と流れていたのだろう。
品川用水のことを少し書かせてもらうと、現在の三鷹市街で用水の跡を見つけるのは不可能である。ただ、昔の地図で品川用水の流れを比定し、現地を歩いてみると、もしかしてこの道は昔用水だった?というのが見えてくる。
それで、書き込んでみたのが、下の地図だ。

容量の関係で細かいから、興味のある人だけじっくりみてね。
左上の分水口は唯一の品川用水の痕跡。そのあと、中央線をまたいで、ゆるやかな曲線を描く道が三鷹の街を斜めに走っている。
三鷹に住んでる人は、堀合から北浦に続くこの道が、きちんと区画整理された三鷹の中にあって、異色であることを感じることができるはずだ。それはこの道が、用水の跡だからなのさ。
北浦からは、むらさき橋通りに沿って南下するのではなく、実は一本東側の裏路地に沿って、用水は南下する。あかね保育園の裏。現地に行ってみると妙にまっすぐだけど、むらさき橋通りとは微妙に不平行な意味不明の路地だ。
そして、どうしてそんな道があるかと探っていくと、品川用水及び旧道、という答えに出くわすのである。同様に、その先、第6小を越えて、三鷹第一病院のところもおもしろい。
病院の裏手にぐにゃっと曲がった路地がある。なんか余分な路地なのだがしょうがない。他の道よりこっちの方が古いんだから。これが用水跡の道である。ここを通って、用水は吉祥寺通りの裏手から新川へと抜けていくのだ。
なんてことを調べて何が面白いのか(笑)。まあ、ほとんどの人にはどうでもいいことだろうけど、オイラはこうやって土地への愛着を深めていく。
きのう書いたように、郷土愛や地域へのリスペクトのオイラなりのアプローチなのである。
日も暮れてきたので、とりひろへ行こう。

おお、赤提灯が呼んでいる(^^ゞ
店に入ると、常連のアイちゃんが飯食ってた。オイラは端っこの席に座り、ホームページの案をイメージしながら、生ビールに馬刺し。
マスターや初めて会うお客さんと、お盆の話や靖国問題など、イマドキの話題をちらほら。
御夫婦でいらしてたお隣さんの奥様の実家が山形だというので、土地の話や親父やジイサンの話でひとしきり盛り上がった。旧姓が「平さん」だというので、こりゃ将門クンの子孫だな、とそんな他愛のない話だが、そうやって親交を深めていく。
三鷹にリスペクトし、山形にリスペクトしていく。考えてみると、こうやってオイラは人との交友関係を築き上げてきたのかもしれない。
なんだか、心が穏やかになった。今日はこれでいいや。明日は集中して仕事するぞ。ホームページのイメージも少しできてきた。今日会った皆様、感謝です。ありがとうございました(^_^)v
χανι