2007.02.08 Thursday
我等、痔民党#1
ここのところグルメネタが続いた。読者の食いつきもいいし、自分でも書きやすいから、それはそれでいいのだが、そろそろ話題を変えたい。
今日明日は終日引きこもり編集なので、日常ネタもない。ちょうどいいので、昔話をしよう。
いつか書きたいと思ってたのだが、先日、mixi仲間のブログに「痔」の文字があったので、急に書きたくなった。
そういうわけで、2日に渡って、痔の話だ。まあ、聞いてくれ(^^ゞ
オイラは、小学校6年生で痔になった。駒沢公園プールで遊んでいたら、クラスメートの女の子(しかも、オイラが好きだった子)が、ふざけて、プールから上がるオイラを後ろから引っぱって、プールに落とそうとしたのだ。
びっくりして、「ウッ!」と思わず力んだら、プリ!というような音がして、いきなり痔民党に入党してしまった。
彼女もまさかこういう形で、36年後に公に紹介されてるとは思わんだろうが、まあ、忘れられぬ想い出だ。
プリっと出てきたのは、小豆状の血豆みたいなもの。いわゆるイボ痔である。こいつは尻の中にいるときは、そんな問題ないのだが、成長するとひょっこり顔を出してしまう。こうなると厄介なのだ。
市販薬をつけたり、風呂の中で押し込んだり、病院で薬もらってるうちに、腫れが引けば、また穴の中に帰っていく。まあ、そんな感じで、多くの方々も密かに彼とつきあってるはずだ。
痔でショックなのは出血である。イボが傷つくと出血だ。しかもキレイなマッカッカの鮮血である。
初めて見たのが小学生の時だから、それこそ「ママー!パパー!」と叫んでしまう衝撃である。幸いザビパパも軽い痔民党だったので、「キレイな血が出てれば大丈夫だ」と意に介さない。
お尻から出てヤバイのは、黒ずんだ血だ。これはガンとかそういうのの兆候。痔なんてかわいいもんである。
とはいえ、以来20年近く、痔とのつきあいが続く。
通常は問題ないのだが、なんかの拍子に「こんにちは」してしまう爆弾を抱えたわけだ。スイッチは、下痢だとかストレスだとかである。
学生時代はそんなに困らなかったが、社会人一年生で、レコードのセールスマンになって、つまづいた。
そもそも営業大嫌い人間である。そのストレスはタイヘンなもので、通勤途中の電車の中でガマンできず途中下車。会社に電話して、「すみません。歩けません」というのが何度かあった。
まあ、それでも、病院に行って薬をもらってつけてると、何とかなるもので、なだめすかして、つきあっていた。
転機が訪れるのは、30歳の春だった(^^ゞ
その時の上司は、とても相性のいい人で(ちなみにオイラをザビエルと命名した人)、よくいっしょに飲んだりしていた。
辛いものも大好きで、「ケツに悪いなあ」とか言いながら、食べ歩いてたものである。
ある日、一度痔のおかげで会社を休んだ。その後、その上司に呼び出されて、「ザビエル、手術しろ」という話になった。
自分の体に刃物が入るなんて、小心者のオイラには耐えられなかった。そのうち、周囲を巻き込んでの会議となる。
実は会社の先輩でmixi仲間のiさんが、痔の手術経験者だった。彼も「軽いうちに切っちゃったほうがいいよ。いい病院紹介するから」と勧めてくれた。
それでも拒むオイラに上司のキメゼリフ。
「一生心置きなく唐辛子が食べたいだろ」
これでオイラは陥落した。もし、「仕事に差し支える」とか、そういうことを言う上司だったら、絶対オイラは今も痔主だったろう。
ともかく、そういうわけで、当時日本では痔の手術の第一人者といわれる先生の病院に行くことになった。ここは紹介制なので、iさんの紹介で行ったわけだ。
さてさて、ザビエルの運命やいかに。あしたは、病院での貴重な体験を綴らせてもらおうと思う。
χανι
今日明日は終日引きこもり編集なので、日常ネタもない。ちょうどいいので、昔話をしよう。
いつか書きたいと思ってたのだが、先日、mixi仲間のブログに「痔」の文字があったので、急に書きたくなった。
そういうわけで、2日に渡って、痔の話だ。まあ、聞いてくれ(^^ゞ
オイラは、小学校6年生で痔になった。駒沢公園プールで遊んでいたら、クラスメートの女の子(しかも、オイラが好きだった子)が、ふざけて、プールから上がるオイラを後ろから引っぱって、プールに落とそうとしたのだ。
びっくりして、「ウッ!」と思わず力んだら、プリ!というような音がして、いきなり痔民党に入党してしまった。
彼女もまさかこういう形で、36年後に公に紹介されてるとは思わんだろうが、まあ、忘れられぬ想い出だ。
プリっと出てきたのは、小豆状の血豆みたいなもの。いわゆるイボ痔である。こいつは尻の中にいるときは、そんな問題ないのだが、成長するとひょっこり顔を出してしまう。こうなると厄介なのだ。
市販薬をつけたり、風呂の中で押し込んだり、病院で薬もらってるうちに、腫れが引けば、また穴の中に帰っていく。まあ、そんな感じで、多くの方々も密かに彼とつきあってるはずだ。
痔でショックなのは出血である。イボが傷つくと出血だ。しかもキレイなマッカッカの鮮血である。
初めて見たのが小学生の時だから、それこそ「ママー!パパー!」と叫んでしまう衝撃である。幸いザビパパも軽い痔民党だったので、「キレイな血が出てれば大丈夫だ」と意に介さない。
お尻から出てヤバイのは、黒ずんだ血だ。これはガンとかそういうのの兆候。痔なんてかわいいもんである。
とはいえ、以来20年近く、痔とのつきあいが続く。
通常は問題ないのだが、なんかの拍子に「こんにちは」してしまう爆弾を抱えたわけだ。スイッチは、下痢だとかストレスだとかである。
学生時代はそんなに困らなかったが、社会人一年生で、レコードのセールスマンになって、つまづいた。
そもそも営業大嫌い人間である。そのストレスはタイヘンなもので、通勤途中の電車の中でガマンできず途中下車。会社に電話して、「すみません。歩けません」というのが何度かあった。
まあ、それでも、病院に行って薬をもらってつけてると、何とかなるもので、なだめすかして、つきあっていた。
転機が訪れるのは、30歳の春だった(^^ゞ
その時の上司は、とても相性のいい人で(ちなみにオイラをザビエルと命名した人)、よくいっしょに飲んだりしていた。
辛いものも大好きで、「ケツに悪いなあ」とか言いながら、食べ歩いてたものである。
ある日、一度痔のおかげで会社を休んだ。その後、その上司に呼び出されて、「ザビエル、手術しろ」という話になった。
自分の体に刃物が入るなんて、小心者のオイラには耐えられなかった。そのうち、周囲を巻き込んでの会議となる。
実は会社の先輩でmixi仲間のiさんが、痔の手術経験者だった。彼も「軽いうちに切っちゃったほうがいいよ。いい病院紹介するから」と勧めてくれた。
それでも拒むオイラに上司のキメゼリフ。
「一生心置きなく唐辛子が食べたいだろ」
これでオイラは陥落した。もし、「仕事に差し支える」とか、そういうことを言う上司だったら、絶対オイラは今も痔主だったろう。
ともかく、そういうわけで、当時日本では痔の手術の第一人者といわれる先生の病院に行くことになった。ここは紹介制なので、iさんの紹介で行ったわけだ。
さてさて、ザビエルの運命やいかに。あしたは、病院での貴重な体験を綴らせてもらおうと思う。
χανι