2005.09.30 Friday
祠の役割
相変わらず音編集とDVDレコーダーの日々である。きのうの時点でDVDレコーダーをパソコンとネットワーク接続ができず、もがいていたのだが、理由がわかって一気に解決に持っていった。
理由はハブ経由で接続をしていたのだが、これではダメで、ルーターじゃないとアドレスが割り振られず、DVDレコーダーが認識されないのだ。どういうわけか昔買ったルーターを使わずにいたので、それを再度持ち出して設定したらうまくいった。手元のパソコンからAV機器を操作できるって、なんかかっこいいぞ。
特にお出かけでない時は、火曜と金曜をジョギングデーとしている。週2回では健康維持がいいところで、体力増強とかダイエットとまではなかなかいかない。それでもやらないよりははるかに効果がある。
今日は久しぶりに洗足池弁天様コースを走ることにした。10kmほどの距離だが、川沿いがほとんどで平坦でクルマが少ないので走りやすい。中間点の洗足池で例によって弁天様にお参り。おかげさまでザビスタが前に進みだしたと報告。
後半は清水窪のミステリースポットに立ち寄り、ここでも弁天様の祠を拝む。ところで、洗足池の弁天神社と清水窪の祠はいったいどう違うのだろう。弁天様は何人もいるのか。それとも同じ神様を何度も参拝してるのか。そもそも社の中に弁天様はいるのか。
まあ興味のない人にはどうでもいいことなのだろうが、私はどうにも気になって少し考えてみることにした。
まず弁天様は一人しかいない。彼女はいつもどこにいるかというと、神界or魔界or霊界、つまりこの世と違う次元にいるはずだ。祠の中や社の中に常駐してるわけではないのだ。
あちらの世界はこちらの世界の空間や時間の概念が当てはまらないようで、遠く離れた場所でも一瞬に移動したり、未来のことがわかったりするらしい。この辺のことは私もよくわからんのだが、どうもあっちの世界のことがわかる人の話を聞いてると、そう解釈できる。
もうちょっとわかりやすく考えると、祠や社は、弁天様のいる世界との連絡口、ターミナルということになる。一種の弁天様専用の公衆電話という感じもする。つまり電話口で弁天様に一方通行のお願いやら報告をして、弁天様はあっちの世界でそれを聞いている、という理解でよろしいのではないか。
そうするとお賽銭は公衆電話のコインであり、自宅の神棚は固定電話だ。だからいちいち賽銭はおかない。持ち歩けるお守りは携帯電話にあたることになる。
どういうテクノロジーであちらの世界に心の声を届けているのかわからないが、昔の人は何かの拍子にその方法を発見して実行したのだろう。果たして神様の住みづらくなった現代で、この通信手段が成り立っているのかは疑問もあるが、信じるものは救われる。きっと声は届いているのであろう。
残念ながら私は神様も霊も見たこともないし、これからも見れそうにないが、中には交信できる人もいる。今をときめく江原啓之氏などは、その気になればその場で交信してるし、仏壇で手を合わせて交信する人もいる。
私は占いやこの手のご託宣は嫌いではないが、信じるかというとそうでもない。ただ前にも書いたが、無宗教だが、神様や悪魔は大好きである。
まあそんなわけで守護神弁天様のご利益でザビスタも少しずつ進展している。もっともザビスタ周辺には現世の「弁天様」がけっこう多いので、彼女達のおかげで人間関係が広がって、仕事になってきているという部分も大きい。いずれにしても、自分と家族と友人と美人を大事にする。これがザビエルのモットーである。
χανι
理由はハブ経由で接続をしていたのだが、これではダメで、ルーターじゃないとアドレスが割り振られず、DVDレコーダーが認識されないのだ。どういうわけか昔買ったルーターを使わずにいたので、それを再度持ち出して設定したらうまくいった。手元のパソコンからAV機器を操作できるって、なんかかっこいいぞ。
特にお出かけでない時は、火曜と金曜をジョギングデーとしている。週2回では健康維持がいいところで、体力増強とかダイエットとまではなかなかいかない。それでもやらないよりははるかに効果がある。
今日は久しぶりに洗足池弁天様コースを走ることにした。10kmほどの距離だが、川沿いがほとんどで平坦でクルマが少ないので走りやすい。中間点の洗足池で例によって弁天様にお参り。おかげさまでザビスタが前に進みだしたと報告。
後半は清水窪のミステリースポットに立ち寄り、ここでも弁天様の祠を拝む。ところで、洗足池の弁天神社と清水窪の祠はいったいどう違うのだろう。弁天様は何人もいるのか。それとも同じ神様を何度も参拝してるのか。そもそも社の中に弁天様はいるのか。
まあ興味のない人にはどうでもいいことなのだろうが、私はどうにも気になって少し考えてみることにした。
まず弁天様は一人しかいない。彼女はいつもどこにいるかというと、神界or魔界or霊界、つまりこの世と違う次元にいるはずだ。祠の中や社の中に常駐してるわけではないのだ。
あちらの世界はこちらの世界の空間や時間の概念が当てはまらないようで、遠く離れた場所でも一瞬に移動したり、未来のことがわかったりするらしい。この辺のことは私もよくわからんのだが、どうもあっちの世界のことがわかる人の話を聞いてると、そう解釈できる。
もうちょっとわかりやすく考えると、祠や社は、弁天様のいる世界との連絡口、ターミナルということになる。一種の弁天様専用の公衆電話という感じもする。つまり電話口で弁天様に一方通行のお願いやら報告をして、弁天様はあっちの世界でそれを聞いている、という理解でよろしいのではないか。
そうするとお賽銭は公衆電話のコインであり、自宅の神棚は固定電話だ。だからいちいち賽銭はおかない。持ち歩けるお守りは携帯電話にあたることになる。
どういうテクノロジーであちらの世界に心の声を届けているのかわからないが、昔の人は何かの拍子にその方法を発見して実行したのだろう。果たして神様の住みづらくなった現代で、この通信手段が成り立っているのかは疑問もあるが、信じるものは救われる。きっと声は届いているのであろう。
残念ながら私は神様も霊も見たこともないし、これからも見れそうにないが、中には交信できる人もいる。今をときめく江原啓之氏などは、その気になればその場で交信してるし、仏壇で手を合わせて交信する人もいる。
私は占いやこの手のご託宣は嫌いではないが、信じるかというとそうでもない。ただ前にも書いたが、無宗教だが、神様や悪魔は大好きである。
まあそんなわけで守護神弁天様のご利益でザビスタも少しずつ進展している。もっともザビスタ周辺には現世の「弁天様」がけっこう多いので、彼女達のおかげで人間関係が広がって、仕事になってきているという部分も大きい。いずれにしても、自分と家族と友人と美人を大事にする。これがザビエルのモットーである。
χανι





